古賀市・宗像市・福津市・福岡市東区のリフォーム・増改築は、長崎材木店 リフォーム事業部へ
創業 明治30年(1897)年
初代長﨑券次郎が、古賀町755番地(現在の古賀市天神1-22-1)に「長崎材木店」を設立。
その当時の古賀=明治23(1890)年に蒸気機関車が、博多-赤間間で運転を開始。香椎と福間の中間に古賀駅が出来ました。花見松原を切り開いて建てられた、駅員4名の小さな駅舎でした。
古賀市のホームページ「古賀の歴史 近代・現代」によると、「古賀に会社が設立されたのは、明治30年の長崎材木店、大正8年にニビシ醤油の前身である日本調味料醸造(株)、昭和9年には岡部機械工業、昭和12年には高千穂製紙、昭和17年には西部電機工業が進出した」と記されています。
長崎材木店へは本線から引込線が敷かれ、米多比・鷹野あたりの山を始め、九州各地から原木が集材されました。
米多比・鷹野の麓までは、土引き牛によって原木が運ばれました。
九州の各都市から材木商人が集まったといいます。
旧古賀町役場庁舎
創業当時の文字盤
昭和19(1944)年に北九州が初空襲を受け、翌年6月19日B29(戦略爆撃機)221機による大空襲が福岡市を襲い、市の繁華街をはじめ、主要な地域は殆ど焦土と化しました。
しかし古賀は、空襲も、海からの艦砲射撃を受けることもなく、幸いにも戦災を免れました。
戦後の長崎材木店は、福岡県の戦後復興に大きな役割を果たしました。
昭和23(1948)年、長﨑眞吾が三代目を継承し、資本金100万円で株式会社に改組しました。古賀の本社敷地内の製材工場に、その頃、大きな丸太を運ぶ滑車や帯ノコが残されています。
現社長・五代目秀人は、子どもの頃、帯ノコの歯を目立てする職人さんが働いていたのを見たといいます。
資材置場
昭和36(1961)年、長﨑正人が四代目を承継し、住宅設備機器やボード類の新建材販売を開始します。
昭和46(1971)年に本社を現在地(古賀市天神5-10-3)に移転します。
昭和55(1980)年、有限会社長崎土地建物(現、長崎材木店リアルエステート)を設立し、不動産売買と仲介業を開始します。
平成1(1989)年に住宅リフォーム部門を設置し、平成11(1999)年定期アフター訪問を開始します。
平成17(2005)年に第一回植林ツアーを開催しました。
平成19(2007)年に宮崎県西臼杵郡との産直システムの取組みに賛同して東国原知事が、本社を表敬訪問。同年『緑の循環』認証会議(SGEC)認証林産物取扱認定事業体に認定されます。
平成20(2008)年に宮崎県西臼杵型産直システムの取組みが評価され、全国山村振興連盟会長賞を受賞。
平成21(2009)年、[博多・現代町家]が(財)日本産業デザイン振興会のグッドデザイン賞を受賞。
平成22(2010)年5月、[博多・現代町家]完成を期にモデルハウス群を[住まいの森]と名づける。
2009年度のグッドデザイン賞を、博多・現代町家が受賞しました。設計システムのおもしろさと、意識的に空き地を生んで、そこに自生種の樹木と草花を植えようというコンセプトが評価されての受賞です。建物が建っていないものが受賞したと大評判です。
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